あの2011年3月11日午後2時46分に起きた
東日本大震災から10年が経ちました。
あの時は本会議がいつもの年と違い遅くまであり、
3日目にかかっていました。
休憩中に起きた地震は会派の本を倒し、
本会議上の天井を壊し壁面が落ちてきました。
テレビを付けると地震情報の後、
戸惑った様なNHKのアナウンサーが津波が来ますと言う声が忘れられません。
ヘリコプターからの海岸の映像では少しずつ、
海が盛り上がってきて車をさらう様子を映していました。
呑み込まれる直前に別の津波の映像に変わりました。
昨日の夕食を忘れた人もいるでしょうが、
あの震災の時に何をしていたかと言う事を皆、はっきりと覚えているでしょう。
前に進む勇気を持って復興に向かう力は
これから先、一生我々日本人が持たなくてはなりません。
10年という通過点にそう思います。
東日本大震災で亡くなった方のご冥福を、
また震災にあわれた方へのお見舞い申し上げます。
学校、幼稚園休園で家では
小学校は今日から休校になり、
幼稚園は月曜から休んでいます。
市は幼稚園の休園を求めていませんが、
政府の要請を受けての幼稚園の自主休園ですが、
なんとも長い春休みに親どもは本当に困っています。
上の写真は長女が自宅軟禁中の時間を持て余して撮った、
タブレットからの写真です。
私のセカンドタブレットは壊されるし、
家の中では双子どもが落書きして回るし、予想外の休みに本当に困っています
第3小学校では、働いていて自宅で見ることができない家庭の小1から3までの学校での自習だったのを、
4日から小6まで対象を拡大します。
小4からお留守番がきちんと出来るかといえばそう言えない子もいると思いますし、
この措置は親御さんにとっては嬉しいです。
幼稚園に行っている子供は、放置された形になっていますが、
保育園の一時預かりを見つけて預けているそうですが、
こちらにも補助が欲しいですね。
新型コロナウィルスの日本、世界の状況
東日本大震災から8年
今日であの誰もが記憶する東日本大震災から8年経ちました。
環境都市常任委員会が開催されている中、
気がついたら地震発生時の14:46が過ぎていました。
だんだん、復興が進み、自分の生活も震災前の生活、そして生活状況も変わり、
報道も少なくなっていく中、
記憶が薄くなっているのかもしれません。
私もあの東日本大震災の記憶を伝え、
いつ起こるか分からない大震災への備えを引き続き行いたいと思っています。
東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福と
被災され今もなお苦しんでいる方のお見舞いをお祈り申し上げます。
手賀沼終末処理場、一時保管施設解体工事
手賀沼終末処理場に保管されていました
放射性物質を含むごみ焼却灰の問題で、
搬出が完了した一時保管施設の解体工事日程が決まりました。
5/25〜7/31迄の予定で、
入札した業者さんが行うことになっています。
思ったより時間がかかりますが、
周辺住民の皆様の安心を考えて、
空間放射線量のモニタリングを継続して行っていくそうです。
建屋がある間は完全に安心はできないので、
工事期間の予定より一日でも早く撤去されるのを望みます。
手賀沼終末処理場から焼却灰搬出
平成24年12月から我孫子市と印西市の境にある手賀沼終末処理場に保管されていました
放射性物質を含む3市の焼却灰が、
最後に柏市分の10tが搬出されました。
これが最後の焼却灰です。
我々、我孫子市放射能対策特別委員会とマスコミ、
我孫子市、柏市、印西市の各担当が立会いました。
線量を計りましたら、
テント外で0.14μシーベルト程度。
トラックの外ですと、
1.4μシーベルト程度で、
やはり焼却灰を積んでいるトラックの外1mでは高い数字がでます。
焼却灰が搬出された後のテント内です。
ガランとしています。
これからはこのテントをいかに素早く撤去してくれるか、
また高濃度の下水道汚泥の焼却灰が残っていますので、
こちらの処理が終わるまで、
放射能対策特別委員会は監視していきます!