東葛都市議会連絡協議会、2日目の研修にて、
双葉町の東日本大震災・原子力災害伝承館を視察しました。
ここは2019年オープンということで、
比較的新しい施設ですが、
3・11あの日を忘れない展示が溢れています。
この写真は3月12日に撮られた写真で、
福島第一原子力発電所事故により、
富岡町から避難指示が出て皆さん車で脱出する様子ですが、
この写真に写るほぼ9割は戻ってこれなかったということです。
語り部さんによる、富岡町の様子を聞きました。
当時11,000人いた人口が今は2000人に。
その半数しかかつての住民は戻っていないという事でした。
双葉町の震災後の歴史の写真ですね。
今まで3・11を覚えて伝えようと心掛けてきましたが、
この場所にある圧倒的な資料の前に、
当時の事が鮮やかによみがえってきました。
議会中の14:46の地震の時の事、
インターン生を都内に車で送っていたら、
国道6号が大渋滞で、帰りは帰宅難民の方が列をなしていたこと。
次の日は若松、布佐の液状化の現状を見に行ったこと。
計画停電の話で東電が我孫子に夜遅くに来て、
市長が「我孫子は被災地なんだ。停電は止めてくれ」
と廊下からも聞こえるぐらいの声で言っていたこと。
その後、放射能のホットスポットになって、
市内の公園の除染、校庭の除染などを積極的に行った事。
それでも市外に避難した家族があったこと。
などなど、溢れるように当時の思い出、
災害の悲惨さを思い出しました。
この双葉町は、地震、津波、そして放射能汚染による帰宅する場所を奪われた
と、本当に多くの苦しみを経験した場所だとしみじみと感じました。
多くの津波による犠牲者を出した土地に来て、
心からご冥福をお祈りしました。
今度は家族を連れてきたいと思います。